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お金のことを書かないとなんだかシンママをリアルに感じづらいだろうしそこを伏せると嘘くさいなあ
このブログ。ということにもなりそうで、先に書いておいてしまった。

誤解、というのは、世界中でものすごい量で起こっているのだと思う。そしてものすごい量で解かれないまま進んでいるんだと思う。それはそうなんだけど、誤解はたくさん起こっているとしても、なんだか嘘くさい、というものをわたしは好きになれないからほんとのことは書けるだけ書いておいて、自分が好きなブログにしておきたい。
それと裏腹に、情報が少ないからこそ魅力的に見えるものもあるんだよな。そういうのは、まあ男の人に対してありがちなんだけど、意外と好き。


シンママになるといろんな人がいろんなことをいってくる。いろんなこと、というのは、まあ主に”説教”と”心配”である。
「どうして離婚したの?」という勇気あるぶしつけな質問をしてくる人は一定数いて、(そこにもはじめびっくりしたのだけど)そこまで仲良くないのにスゲーナ、と思いながらも真面目な私は真面目に答えてしまうことが多かった。まあちゃんとした答えを持ってない期間もあったから、そのときそのときにこれが今の最終かな、と思うことを仕方なくぽつぽつ話すんだけど。
まあたいてい、かぶせて説教されるよね。そういう人を選んだのも自分だよ。的なね。いや、私今旦那の悪口いいましたっけ?みたいな、うーん。どうでもいいなー、返しがめんどくさく過ぎてもう帰りたいわー。

そして、「離婚」をつっこまれたあとは、「子育て」をつっこんでくるのがおおむねセオリー。娘がパパのところに会いに行ってる間、私の行動についてなぜだか細かくチェックがはいっていて、子どもほっぽり出して好きなことして、かわいそうだ、責任を持て、などなど。
人の子なのに、そんなに責任感じてくれてるんですかー、って混乱してしまう。

そういう人のだいたいは直接私にはさぐってこなくて、私といちばん仲の良い友達にいちいちさぐりを入れていたみたい。そしてその友人にダメ出しをしていたみたい。その友人、かわいそうだったよね・・・。ほんとごめん、だよ。ぼくの友だちだったばっかりに。こういうのを、災難というのだよ。

最終的に、その友達が言った「Saeちゃん、もう気になる人にメルマガ出しなよ。」とは2011年中の最高の名言だった。

こういう人たちに悩まされてるシンママはたくさんいるんじゃないかなーと思うの。二言目には、「幸せになってほしいから。」って言ってくる人たち。心配だ心配だと言ってくる人たち。かといって具体的なアドバイスも具体的な手助けも何もしてこない人たち。(そんなに心配心配言うなら、生活費援助してくれればいいのに、とはまた別の友達の名言だった!)

こういう人たちをどーやってやり過ごすか?直接言ってこない分直接うざいとも伝えられずにいる人たちを。うざいなんて言ったら、親切心を仇で返してるみたいで罪悪感をぴりりと感じなければならないような人たちを。

そこで生まれたのが、「心配部」です。
メルマガ出しなよ。の彼女のネクスト名言だった。


幸せになってほしい、って意味が分からないよ。私がもし今日、ああ、幸せだなあ、仕事もあって、家族ともうまくやっていけてるし、娘もニコニコして保育園や学校で彼女の生活を送れている、成長を見るのも楽しいし、好きな友人も何人かいて、みんな忙しいけど会えれば元気なれる。ごはんもおいしいし、よく眠れる。やりたいこともあるし、欲しいものもある、いい人もいる。
ああ、やっとわたし、元気になったなあ、ありがたいなあ。と思ってるところに、不意に、ドーン!「幸せになってほしい。」って言われたらさ、え、?、って、しあわせだぜ☆って思ってるいろんなことが、急に色を失うよね。カラフルさを奪われるよね。

旦那がいる。子供が二人いる。家も買った。犬がいて、車もある。というしあわせ。

わたし、そういう条件をしあわせだと定義してないよ?

旦那はいない、子どもはひとり、家は賃貸、犬も猫もいないし、車も持ってない。でもしあわせ。
わたしのしあわせはわたしの自由。あなたの幸せはあなたのもの。同じ色にしよーとしなくていーからー。もー今旦那とかさほど要らないしー。(要る時もありますけども。)


だからこういう心配部のひとたちがあーだこーだ言ってくるのは、「わー、心配部の部活動がまたさかんになってるね。」
ってことですべて決着がつきましたとさ。

親切心から心配してくれてるに違いない、と思ってまじめに答えようとしなくていいよ。
大事なのは、ありがたいなあ、よかったなあ、と自分が思うちっちゃなことを、大切に感じて、ひとまずは今日と明日を過ごすこと。(設定が短いからこそできる。)成長しなければ、とか、向上しなければ、とか、考えなくてよし。
「ひと月前よりかは、ちったあマシかな。」のレベルで御の字!
離婚して、1年間は毎日布団に入っても3時4時まで眠れなかったことを考えると、23時にはウトウトできるようになって、少しはゆったりした心持ちになれて、ほんとうにしあわせ。
仲の良いお友達と飲んだくれられて、空いたビール缶でタワー積み上げて、わー飲んだねーしあわせ。みたいな、それが大切。

そう、3年前のわたしに言ってあげたいなー。


 


お金のこと
 
シンママにとっては、もっとももっとも大事なことではないでしょうか。
 
よく、パパが早朝から深夜まで働いているお宅のママが一日中赤ちゃんと二人きりのことを
「うちはもう母子家庭のようです。」と言ったりしますが、いやいやいやー母子家庭は一日中子どもと一緒にいられないからー。月に一度まとまったお金を持ってきてくれる人いないからー。
母子家庭とは、母親がお金の工面に日々あくせくしていて子どもといられる時間がないご家庭のことを指すのです。
お金って大事だよね。生きていくのに絶対に必要で、あればとても安心できるもの。守ってくれるもの。

さてお金です。単純ではありません。働けばいいジャン、とはカンタンにいかないことを思い知り、子育てとお金のジレンマを約3年抱えました。
 
離婚してから、お年玉に毛が生えた程度の収入生活は約2年半続いた。
離婚したのは娘が3歳のとき。娘が小学生になるまではフルタイムで働くのはやめよう、とあきらめました。
なぜなら働いている間、親に預けるにしても育児の面倒の負担が大きすぎる。
かといって、娘をひとりにしておくには娘が小さすぎる。
それに、離婚した直後に私と会えないことで娘にさらにさみしい思いをさせるわけにはいかなかったから。
 
小学にあがるまで2年半、週3〜4で10時から17時くらいまでの事務仕事をしていた。
今では、子どものことで遅刻や休みの少なくない私を雇ってくださってありがたかったように思う。でも、(どこにも行けない私の足元をみてるのか今となっては分からないけど、そしてもうどうでもいいけど)、いやな思いはたくさんした。
社判の紛失の犯人扱いされたり、有給取り消されそうになったり、勝手に勤務時間を短縮されて捺印までされた契約書をつきつけられたり、暴言、暴力、給料未払い、その都度、闘ったり闘わなかったり、壁に沿って歩いたりしてきたわ。

育児期間が3年くらいあったので、年の割にはたいしてキャリア積んでないのよね&やっぱり自分を切り売りして一人のビジネスパーソンとしてサバイブしていく自信が、ないよね。そりゃないよ、だって経験ないんだもの。
シングルママは、そこがいちばんのネックだと思う。ほんとに。。

お年玉に毛が生えたくらいの収入なので、もちろん非課税所得世帯、児童育成手当(母子家庭への手当を含む)対象。
わたしはイロイロあってお給金がもらえなかった時期があるので、満額近く受け取っていた期間もあります。(日本の児童育成手当は、満額で月額約4万3千円です。4か月に一度、4か月分の合計が口座に振り込まれます。毎年8月に、現況を市役所へ直接届けに行きます。)
保育園に通うためには実家には入れたなかったため入学するまで1DKのワンルームで娘と二人、暮らしていました。目の前が畑、高台なので朝日が昇るとき光がきらきら射す、ぽかぽかした小さな部屋でした。平和なかわいい部屋でした。
 
今は晴れて(?)契約社員でフルタイム勤務。やっと手に入れた、フルタイム出勤!
残業代もちゃんといただいておる。
仕事は、外資系でITサービスや製品のマーケティングの仕事をしています。10年前に働いていた会社の先輩方が転職の相談にのってくれて紹介してもらったのだ。ありがたすぎるのだ。
やっと普通の人の生活ができます。娘は学校の後、放課後ルームへ、帰宅後は実家の母がごはんとお風呂としてくれて寝かせてくれます。
普通といっても男性社員と同じ勤務量で、帰りが23時過ぎになることもしょっちゅうでほとんど顔を合わせられず、寝る前に布団の横で寝てる娘のほっぺをなでなでしていやがられている。そして、朝起きてからむぎゅむぎゅしているのです。「気持ちわるいっ」と言われながら。
母親には、1DKワンルームのときと同じ家賃分を毎月お渡ししています。

さっきいった普通の人の生活とは、所得税と市民税を納められ、児童育成手当(母子家庭は対象内)をもらわずとも生活ができるくらいの生活のこと。もう収入が手当対象の上限を超えるため、御手当は受け取らずに生きていけるようになりました。ここまで長かった。
 
今まで、私の友達たちが、親たちが、この国のちゃんと働いてる人が、身を粉にして働いて納めた税金を、たくさんいただいた。だからこれからは私も、必要としている人に届けるお金になる税金を、ちゃんと納めていきたいと思う。

 
すすスミアセン、自分の都合で勝手にリコンしたのに、みなさんの血税からお手当いただいて…ホント、すみません…
そう思いながら、長い日々を過ごすのはやっぱりしんどかった。
 
でも、そんなに卑屈に思わなくてもいいと思うケドネ。
と、そのとき私のいい人は笑ってそう言ってくれた。ああ、ホント泣ける・・・。





 




卵の黄身を2センチうえからフライパンに落とし、白身を適当にメレンゲにして黄身のまわりにかけて、あとは弱火にかける。おいしい塩をふって(昆布塩とか岩塩とか)、お皿に。おはしで黄身をつぶして白身を4分の1の三角に切り分けながら食べると、もう至福ー。

35才になりました。娘は7才です。来月は七五三です。離婚してからは3年半が経ちました。
おいしい目玉焼きと一緒にえんえんと飲めるコーヒーメーカーでコーヒーを入れる。えんえんと飲めるコーヒーメーカーは、ビーカーにコーヒーの粉を入れお湯を注ぎ、ファスナーがついたジャージ生地でビーカーを保温したら、金属のぴたっとしまる蓋をして4分。金属の蓋はぴたっと閉まっているのに、注ぐときは水がコップから流れるみたいに自然に蓋があいてカップに注げて、ぜったいに一滴もコーヒーが垂れないというかっこいいコーヒーメーカーなのだ。わたしのいい人がくれたのだ。

離婚して、3年半がたったら、けっこう元気になった。この3年半は思い出すのはいいとしても二度と同じ思いはしたくない、と思うくらいには辛い期間だった。多分、乗り越えられたような気がする。乗り越えるためにはいくつかしなきゃいけないことがあった。分析すること、反省すること、気づくこと。それは自分自身のことであったり、男の人とは、ということであったり、結婚とは、ということに対する”塗り替え作業”といえるのかも。塗り替え作業で乗り換える。
3年半の間には、塗り替え作業がきついときもあって、ああいいや、もう二度と結婚なんかしなくても。とか、ああいいや、男なんて所詮。なーんて思っていると、その思いが知らず知らず自分を傷つけたりするから、厄介。ごまかしてちゃだめなんだ、って気づくのにも、時間がかかる。

このあいだ、長年の友達にキャッチコピーをつけてもらいました。
「明るすぎるバツイチ」です。こんなに明るいバツイチの人は見たことがない、ということからです。
シンマーマン!のタイトルのキャッチコピーにしました。気に入ったのです。育児のブログをはじめたのは、イタリアのでっかい子だくさんのマンマみたいになりたい、私、強いマンマになりたい!ということではじめたけど人生いろいろ変わりますね。7年経ったら7才の子どもと暮らすシングルマザーになっちゃったし。ふふ

本を好きな人ならわかるとおもうけど、タイトルの「黄身をつぶしながら」というのは私の好きな小説、田辺聖子の「苺をつぶしながら」という小説のもじりです。すごく好きな人がいて失恋、愛してくれる別の人と結婚。離婚して、3部目で日曜の朝にミルクをかけた苺をつぶしながら、「あー自由。」というくだりではじまる小説です。(でもやっぱり人生折り返し地点を過ぎていろいろあるから、気楽ではないんだけど…誰かがいるから一人でも生きていける、ということを痛感する小説です)
小説の中の、”35才の今なら、男のよさも、ずるさも、可愛さも、すばらしさも、全部分かる。”というようなくだりがあるのですが、ここがいーなーと思います。


​35才のバツイチのわたしは、むすめと一緒に黄身をつぶそーっと。

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