仕事のお客さんと飲んだりすると、左手薬指に指輪ないことつっこまれるよねー。
こっちが何も言ってないうちに、いろいろ大変だと思うけど・・・とか言われてしまうよね。
まあもうほとんど ”いろいろ” は終わったんですけどね、と心の中で返すよ。
こころがささくれてるときは、「うぜえ。」と思ってしまうこともあるけれど、基本的に優しさからでてくるものだよね。
そこでさらに、人生とはなんちゃらだから!というかんじで励まされるとさすがにイラっとするけどね。
最近、人の言葉はなるべくポジティブに受け止めようと思うの。真夏に買ったZARAのネイビーのショートダウンコートも、「ドカジャン(土方の人が着る作業着)みたいでカッコイイ。」って言われても、喜ぼうと思うの。
こう言われて傷ついた、ああ言われて傷ついた、なんて言ってるうちは、、自分をしあわせにできていない=人にもやさしくできない。気にしない、ということを身に着けることは、周りの人への配慮だ。
人に、めんどくさいなあ、と思わせたくない。わたしは、さわやかな、大人になりたい。
そして、、、、
人に、心配をかけたくない。
というのも、、、
こないだ、私と同じような境遇の(さらに私と違って社会的に乗り越えてるけど)、賢くて明るくて気持ちいい女の子たちと昼から楽しく飲んでいた時に、そうそう、そういえばね、と私の近況をふと話していたら、人にとってはほんとうにどうでもいいような、たわいもなーい近況だったのに、一人の女の子の目がうっすら透明になってきて、気のせいかきらきらしてきて、あれと思って話し続けていたら、ついには赤みをおびてきたので、どーしたのかなあ?と思ったら、「よかったー。なんか安心したー。」と言ってその子は泣いてた。
数年間、その子はわたしになんの説教もしなかったし、上からのアドバイスもしなかったし、いつもいつもニコニコうんうん、と話を聞いてくれたりときにはユーモアあふれる独自のかぶせネタをかましてくれていたから、まさかそんなに心配してもらっているとは、つゆほども思わなかった。
わたしは子どもだった。その子は、ずっと前から、大人だった。
ごめんなさい。心配かけて。
何をしてもいいけど。自分の人生だから。けれど、自分の周りのやさしいやさしい人たちに、心配をかけたらだめだな。
心配しないで!とかみついてきた人たち、ごめんなさい・・・もう遅いけど・・・
これからは感謝の気持ちでお返ししていくと決めました。
と、正しい善悪をわきまえたような反省をしたようにみせかけて、私はただ単純に、指輪を気にした仕事のお客さんも、泣いてた子のことも、ドカじゃんみたいだね。と言った人のことも、すきな人なだけだと思います。ちゃんちゃん。