母としてまたひとつ悟った。
5〜7才の間の育児が花。
そろそろ娘も善良な一市民になりつつあって、まだまだ社会通念上は子ども扱いだけど、一人称から眺めるとしたら、ちゃんとした”他人”になっているのである。私とへぐ。おばあちゃんとへぐ。担任の先生とへぐ。バスの運転手さんとへぐ。というように。人間、対、人間。
つまるところ大人になるための段階としてへぐは少しずつ母から離れはじめている。
まーこれ、きついですね。きちーきちー。
なんだよ、3歳まで一から十まで世話して、やっと手がかからなくなって、育児楽!わたしの時間復活!子どもかわいい!子ども最高!!なんて思っていたら・・・そう何年も続かないんですね、やー、ここらで2人目か3人目かがいて、あたりまえのことを言ってるだけなのに刃向われたりしないで、よちよちスリスリ寄ってきてくれるといいんだけど。一人ですわ。
花の間は、とくにもやもやすることはないから、ブログなんてはかどらない。だから数年ほとんど書かなかったのかも。明日、スキーでもしようかな。(現在日本屈指のスキーリゾート地に住んでいます。)
グーグルで検索してみたら「中間反抗期」ですって。はあ・・・。
こういう愚痴は、
「だってそういうことがないと、子どもは大人へ成長できないからねー。」
なんて言ってしまうのは安易ですよ暴力ですよ。
それってとても大切な人を亡くした人に、「まー人間誰でもいつかは死ぬからねー。」と言うのに通じてますよ。
そういう時はこれしか言うことはないです。
「まー飲もうよ飲もう。」
おばちゃんたちって、集まって長い間おしゃべりして何が楽しいのだろう、と幼心に思っていた。時代は変わるもので女たちが集まって飲んでいても眉をひそめられることは少なくなったのかな。夕暮れの井戸端会議は時を超えて近所の居酒屋に替わる。わたしは幼くて、そのころはまだ親である人たちの悲しみを、知らなかった。
今月末は気の置けない女ともだちにたくさん会えるからくだを巻きます。
今月末までは、ふて寝します。