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JUGEMテーマ:シングルマザー
 
ベンゾインというアロマオイルを買った。いいにおいのアロマオイルがほしいなあとお店へ行き次々と嗅ぐもピンとこない、くっせーくっせーこれもくせー、という感じ。最後に端っこにある見慣れないアロマを手に取ると、なにこれ、とろける〜、やさしくされてるかんじ〜、頭がぽーっとする〜、コレダ。This is it.ということで、即買い。知らないアロマだったので、店員さんに質問、これってなんのアロマですか。すると本を出してきてくれた。

*****
効能:
心・・・大きな喪失感、孤独感、悲しみをいやす。
体・・・たんや喘息の症状の緩和、乾燥のひびわれなどに
*****

アラマ。アレマ。アロマ。つい最近、とても大事な人を手放してしまった。
たくさんたくさん考え、突発的じゃない、時間をかけて決心したと思っていたのに。まちがいをしてしまったかもしれないと、とても後悔している。

わたしはずっと、また結婚をすること、結婚に向かうことが自分の復活だと信じてた。復活したかったし復活すべきだと思っていたしそれが正しいことだと思っていた。つまり、結婚の肯定=再び結婚をすること。でもさ、どっちでもいいよね。
自分で自分をしあわせにできる覚悟があるなら。
自分が再び結婚をしなくても、結婚を肯定することはできるよね。

”子どものために”しっかりと養える人を選んで。という声は多いしとてもまともだと思う。周りの人にも安心してもらえるし社会的な信頼も大事。
でも、”子どものために”結婚をしない、という選択だってある。娘はもうすぐ8歳になる。これからどんどん大きくなるのに、知らないおっさんと同居しないといけないのってかわいそうだなあって思うのです。

自分だったら、って思ってもやっぱり無理。やめてほしいと思う。そろそろ生理もくるし胸だって出てくる、洗濯物の下着だって見られたくないだろうし寒い日の着替えだってリビングでできないじゃん。同居してる間はかならず朝起きたらすぐにブラつけないといけないじゃん。めんどくせ。
もちろん、とても仲が良くて信頼もあってほんとうのお父さんみたいな組み合わせもあるだろうけど。
娘がハタチになって、いつでも家を出ていけるようしてあげてから、いい人がいたら結婚したっていい。

何を、焦ってしまったんだろう。結婚という形に、あんなにこだわってしまったんだろう。結婚に至らないなら、お互いのためにと、お別れしてしまった。わたしがばかだった。失ってから初めてその存在の大きさに気づく、ってよく男のドラマになっているけど、ずっと今まで、ばかじゃないの、って思っていたけど、この年になってやってしまった。
必要で、とてもそばにいてほしくて大切にしたいと思っていた人なのに。
でも、次の段階にいきたい、って思ってしまったんだよね。

すきだから、次の段階にいきたいと思ってしまった。
でも、次の段階にいきたいと思った結果、手放すことになってしまった。

どこまでいっても相容れない。
これで正しいと思っていたのに。だから、ベンゾミン。バニラほど重くないほのかなバニラのようなにおい。



 



仕事のお客さんと飲んだりすると、左手薬指に指輪ないことつっこまれるよねー。
こっちが何も言ってないうちに、いろいろ大変だと思うけど・・・とか言われてしまうよね。
まあもうほとんど ”いろいろ” は終わったんですけどね、と心の中で返すよ。
こころがささくれてるときは、「うぜえ。」と思ってしまうこともあるけれど、基本的に優しさからでてくるものだよね。
そこでさらに、人生とはなんちゃらだから!というかんじで励まされるとさすがにイラっとするけどね。

最近、人の言葉はなるべくポジティブに受け止めようと思うの。真夏に買ったZARAのネイビーのショートダウンコートも、「ドカジャン(土方の人が着る作業着)みたいでカッコイイ。」って言われても、喜ぼうと思うの。
こう言われて傷ついた、ああ言われて傷ついた、なんて言ってるうちは、、自分をしあわせにできていない=人にもやさしくできない。気にしない、ということを身に着けることは、周りの人への配慮だ。
人に、めんどくさいなあ、と思わせたくない。わたしは、さわやかな、大人になりたい。

そして、、、、
人に、心配をかけたくない。

というのも、、、
こないだ、私と同じような境遇の(さらに私と違って社会的に乗り越えてるけど)、賢くて明るくて気持ちいい女の子たちと昼から楽しく飲んでいた時に、そうそう、そういえばね、と私の近況をふと話していたら、人にとってはほんとうにどうでもいいような、たわいもなーい近況だったのに、一人の女の子の目がうっすら透明になってきて、気のせいかきらきらしてきて、あれと思って話し続けていたら、ついには赤みをおびてきたので、どーしたのかなあ?と思ったら、「よかったー。なんか安心したー。」と言ってその子は泣いてた。
数年間、その子はわたしになんの説教もしなかったし、上からのアドバイスもしなかったし、いつもいつもニコニコうんうん、と話を聞いてくれたりときにはユーモアあふれる独自のかぶせネタをかましてくれていたから、まさかそんなに心配してもらっているとは、つゆほども思わなかった。
わたしは子どもだった。その子は、ずっと前から、大人だった。
ごめんなさい。心配かけて。

何をしてもいいけど。自分の人生だから。けれど、自分の周りのやさしいやさしい人たちに、心配をかけたらだめだな。

心配しないで!とかみついてきた人たち、ごめんなさい・・・もう遅いけど・・・
これからは感謝の気持ちでお返ししていくと決めました。

と、正しい善悪をわきまえたような反省をしたようにみせかけて、私はただ単純に、指輪を気にした仕事のお客さんも、泣いてた子のことも、ドカじゃんみたいだね。と言った人のことも、すきな人なだけだと思います。ちゃんちゃん。
 

 

 

スナフキンの名言は人気があるよね。
昨日はこれに頭がガツンとヤラレてしまった・・・しまったのだよ。

”自由が幸せとは限らない”

あっらーー、そ、そそ、そうだよね、、、。と思わざるを得ませんでした。たしかに。たしかに!
結婚していなかったころ、わたしは自由だとは思わなかった。たぶん。自由かどうか?ということについて考えをめぐらせることはなかった。とにかく、不満で、焦燥感でいっぱいだった。
結婚をしてしばらく経ったら、とにかく不自由になった。それは子供を持ったことで生じたことがとてつもなく大きかった。私の体は1分も、10秒も自由にならなかったように今では思う。何年も何年もかけて、娘は成長した。それにつれて、何年も何年もかけて不自由は少しずつ、うすまっていった。気が遠くなるほど長かったようにも思うし、その過程で、その途中で、「諦める」ということを私が覚えたのかもしれなかった。
離婚したら、私は自由になった。とてつもなく。しばらく経済的制約からは免れなかったけれど。自由になって3年半が過ぎた。自由はやめられない。今日、明日、家事の何をしても何もしなくてもどっちでもいい、来月何を買っても買わなくてもいい、これからの長ーい先のことを考えても、特筆すべき制約はそんなにない、どこに住んでもいい、、、やめられない。自由はすてきだ。すばらしい。これからもずっと自由でいたい。のびのび生きたい。娘を育てるまでの責任さえとれれば、わたしはいずれどこでのたれ死んだとしても、自由だ。・・・そう思うことの恍惚感たら。

でも。
自由が幸せとは限らない。

ってスナフキンに言われちゃったらね。その通りだとしか思えなかった。
むすめがいて、私は不自由を手に入れたと同時に、それまで知らなかった幸せも手に入れた。これからも今まで知らなかったしあわせを手に入れられ続けることを、知っている。
なにより、むすめのために不自由でいること自体が、幸せでもある。娘のために自分にかかる制約を、私は愛している。私は自分がいとおしいと思う人のために、不自由になりたい。そう思っていることを知った。

自分のいとおしいと思う相手のために、わたしは不自由になりたい。
それって、まさに、「=結婚すること」と言えるよね。

うーん、スナフキン!





 




 


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